第一章 幻のタワー
三菱未来館
起工式

万国博会報
より引用
幻の三菱タワーと悲運エキスポタワー
 三菱グループは当初350メートルを超えるタワーを建設し会期終了後は入場料を取り大阪の新名所となる物を計画した。

予算は40億円を予定した。

 しかし旧財閥系の他のグループが これに反対をしたため残念ながら実現しなかった。

彼らは跡地に三菱の名が残ることが許せなかったのだ。

 協会に人材を送り込めなかった三菱は断念せざるを得なかった。

反対グループは大きな塔が建てば大阪国際空港への進路妨害となり航空管制上問題があると言い出した。

 そこで三菱はタワーの代わりになるものを計画しようとした。

しかし今度は敷地がすでになかった。

 ところが ここでシンボルゾーンの隣に出展を予定していた長島温泉と読売新聞の共同パビリオンが出展を辞退する情報が入った。

 これは長島温泉が、展示館に入る観客から観覧料金を取ろうと要求したからだと言われている。良い展示をするためには莫大な費用がかかる。私は安っぽい展示を
するよりは 入場料を取るのも やむをえないと思う。
現にエキスポランドのチェコスロバキア ラテナマジカは有料だったのだから。

 常に話題を提供する企業だけに実現していたら さぞや楽しいものを作っただろう
そう考えると考えると残念でもある。

 三菱はグループ全部の家族からアイデアを募集した。

館名は当初三菱特設館とされた。

 昭和41年暮れ 東宝の田中友幸プロデューサーのもとに正式に話が持ち込まれた。

三菱館であなたの思い通りの展示をやってほしい。

 それが条件だった。田中氏は考えた。展示は壮大なショーでいこう。

見てもらうではなく体験してもらおう。コンセプトは決まった

 彼はご自慢の特撮映像を駆使することにした。

円谷英二特技監督 音楽の伊福部昭氏 起案グループとしてSF作家の星新一氏 矢野徹氏 福島正美氏 そしてイラストレーターの真鍋博氏が参加した。

 また顧問には東大や東海大の教授が協力をした。

それが功を奏し8月には国内では初の1000万人動員を達成する人気パビリオンになった。

参考ならびに引用
サンケイ新聞大阪本社社会部 これが万国博だ
万国博グラフ社 前田昭夫:氏著 千里への道
万国博会報


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